こんにちは、汰緒鞠映(タオマリエ)です。
あなたは、誰かの言動が、自分を責めているように感じて苦しくなることはありませんか?
大勢でいても、自分だけが皆に受け入れられていないとか、嫌われているんじゃないか、と不安になることはないでしょうか?
「それ、気にしすぎじゃない?」なんて人から言われることはありませんか?
アダルトチルドレンの私たちには、陥りこみやすい落とし穴がけっこうあります。そのひとつが、今述べたような「被害者マインド」です。
ひょっとして、あなたには馴染みのある感覚ではありませんか?
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誰よりも本人が氣づいていない
マインドというのは、「心の状態」と置き換えられます。
周りのできごとや周りの人を、自分は被害者だ、という心の状態で見ているのです。そして多くの場合、そのことに本人は氣づいていません。それが「被害者マインド」のやっかいな特徴といえます。
その状態は、まるで色のついたカプセルの中から外を見ている感じです。そのカプセルは、外から見ると色がついているとわかるのですが、中にいる本人には、色がついている状態だとはわからないのです。
ちょうど、サングラスをずっとかけていた後で外した時に、「あ、全然色が違う、そうかサングラスをかけていたんだったっけ」と氣づく、そんな感じです。だからサングラスを外さない限りは、なかなか氣づくことができないのです。
でも、被害者マインドは、百害あって一利なし、の心理状態ですから、いつまでもその状態でいることは、本人はもちろん周りにも良い影響はありません。
もし、あなたに少しでも思い当たることがあるなら、自分の「被害者マインド」に意識を向けてみてください。
被害者マインドの自分でいたい時もある
被害者マインドでいる時には、それが必要な理由や背景があるのです。決して無意味にそうなっているわけではありません。
人は、何かの出来事や誰かの言動にとても傷ついたり、腹が立ったりすることがあります。そして、そのようなことがいつも頻繁に起これば起こるほど、自分の心を守ろうとする力が働きます。
自分が被害者で、悪いのは自分を苦しめる相手や出来事なのだと、心は思い込もうとします。そうすることで、苦しみやつらさの焦点を、ある意味外すことができるからです。
人によって、さまざまな感覚があると思います。
私の場合は、自分を「かわいそうな自分」だと思い込むことで、弱い気持ちになっている自分を正当化できる、という感覚がありました。弱音を吐く自分ではいけない、という思いが強かったからかもしれません。
人が「被害者マインド」でいる時は、理屈ではなく、そんな風にすねていたいという場合があります。すねていれば、自分の傷つきや、辛さ、弱さをこれ以上感じなくてすむからなんです。
だから、そんな時は、「すねさせてあげる」ことが必要なのだといえます。
でも、自分の人生を、ずっと被害者の落とし穴にはまったままでいい、と思う人も多くはないはずです。あるいは、氣づいた時には、その穴から見上げる地上がずいぶん遠く感じて、どうしたらいいのか途方にくれている場合もあるかもしれません。
あなたは、どんな状態なのでしょうか。
被害者マインドの種が撒かれる時
汰緒鞠映の心理セラピールームを訪ねてくださるクライアントさんの中には、親には褒められたことがない、という人も多いです。あるクライアントさんは、何かがうまく行って喜んでいたりすると親からは、「調子に乗っていると足元すくわれるぞ」と必ず言われた、とおっしゃっていました。
そのような環境で育つと、自分にとって良いことは、他人にとって面白くないものだし、攻撃の対象にされる、というような、一種の思い込みが育ってしまいがちです。つまり、被害者マインドの小さな種がまかれてしまうのです。
また、いつも母親が父親のことで苦労しているような家庭環境で育った場合も、子どもは被害者と加害者の関係で両親を見ていることが多いです。女の子の場合、結婚して家庭を持つと、母親と同じように被害者の立場を知らずにとってしまいがちです。
ひょっとしたら、あなたは、「いつも誰かのせいで自分は苦労している」とか「自分はいつも大変で損してる」なんていつも嘆いたりしていませんか?
だとしたら、それは、子どもの時にまかれた種が実を結んだ、という証だといえるでしょう。
悪者探しにとらわれると抜け出せない
今の自分の状態でいるのには、そのルーツとなる環境があったからなんです。
小さい頃から、批判や、無視、悪意などに晒されて傷ついた経験があるため、人は自分を攻撃するもの、人は自分を裏切るもの、人は自分を傷つけるもの、などという固い信念を心に植えつけてしまった場合もあるでしょう。
世の中には実に色々なタイプの人がいますから、客観的に見ても、相手に圧倒的に非がある場合もあります。
でも、ここで気をつけなければいけないのは、どちらが悪いとか、どちらが間違っている、というようなジャッジをすることだけにこだわってしまうこと。何故なら、そうなってしまうと、被害者、加害者の構図に捕らわれて抜け出せなくなるからです。
ジャッジをするよりも、もっと大切なことがあると知ることが大切です。
フラットな視点を持つこと
それは、被害者(または加害者)の立場ではない、フラットな視点でものごとを見たり感じたりする、ということです。
フラットな視点とは、自分と相手(世間)との関係性が、被害者でも加害者でもなく、どちらが上とか下でもなく、お互いに対等で、それぞれが違う個性や考え方を持った人間同士である、というような見方といえます。
それは、冷静で客観的な心の状態を保っているということです。
悩みから回復し始めたクライアントさんは「自分を俯瞰(ふかん)できるようになった」とおっしゃることがよくあります。
俯瞰する、とは、上の方から物を見ることをいいます。空から地上を見るような感じ。距離がある分、冷静だし客観的に見ている、というわけです。
自分の心の状態に氣づくことが出発点
ここまで読まれたあなたが、自分の心の状態に対する氣づきや、何かピンとくるものを感じてくださればと願います。
そうであれば、その感覚や氣づきを持って、少し離れた距離から、自分と相手(誰であれ)との関係性を見てみることをおススメします。
先ほど述べた「俯瞰する」ということです。
誰かともめてしまう時、誰かと争ってしまったり、逆に傷つけられたと感じた時、ちょっと離れた空から、その自分と相手を俯瞰して見てみてください。
「被害者」対「加害者」の、どちらかになっていたことに氣づくかもしれませんよ。
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