プロフィール - アダルトチルドレンのための静岡発 磐田浜松 心理カウンセリング

ココロケアトレーニング&心理セラピー

静岡発 磐田浜松
アダルトチルドレンのための「あなたらしさ」革命!!
しなやかココロトレーナー 汰緒鞠映(タオマリエ)

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絵に描いたような幸せな家族

きっと傍目にはそう映っていたことでしょう。。。

静岡発 磐田浜松 しなやかココロトレーナー タオマリエ

「自分に自信がない」

こんなお悩みを持つ人はとっても多いです。

私もそのひとりでした。

でも、子どもの頃から、周りの人からは「何でもできる恵子さん」で通っていました。(私の実の名は恵子です)

おかしな話でしょう?心の中は自信のなさ、不安、孤独感で一杯なのに、周りの人たちが「すごいね、さすがだね」と言ってくれる。

当の本人の私は、そんな言葉を聞いて嬉しく、また有難いはずなのに、心はあまり満たされていませんでした。

その満たされない気持ちを埋めようと、もっと頑張ろうとする・・・・そんな繰り返し。

子どもの頃から、私は自分の心の中に、くるくるっと丸めた小さな秘密を隠し持っていた!

ちょっと大げさな表現ですが、誰にも知られてはいけない秘密だと本当に思っていたんです。

誰かがこのことを知ったらきっと、「私のことを嫌いになるはずだ」「軽蔑するし」「きっと口もきいてもらえない」と信じていました。

だから、誰にも言ってはいけないし、もちろん知られないようにしないといけない。

そのために「良い子」で「何でもできる優秀な子」でいないといけない!と、小学校のある時、自分で決めたことを覚えています。

子どもの私にとっては、ものすごく大きな、いわゆる死活問題のように重要なことでした。

そんなわけで、良い子で優秀になった小学生の私は、学業成績もよく、私立の伝統女子中学校・高校へと進みました。中1で英語が好きになり、英語を真面目に勉強したので成績も悪くなく、短大の英語科へと進み、進路は英語で身を立てる道を選びました。

短大卒業後は、商社に就職。3年で退社するまでの間、会社務めをしながら夜間の英語学校に通い、3年間で貯めた全財産で半年間の英国留学。帰国後は、東京での英語を使った仕事でキャリアを積みました。

国際交流団体の事務局員、フランス衣料会社の秘書、映画配給会社の国際部での仕事など。

そして、友好団体の仕事を通じて知り合った15才年の離れた夫と28才で結婚し、可愛い一人娘にも恵まれました。夫の職業は写真家で、知り合った当時は国際交流プログラムの企画運営をやっており、その合間に海外で写真を撮っていました。

夫はバツイチで、奥さんが引き取った息子さんがいました。私が彼に一目ぼれをして、バツイチだということは全然氣にしなかったけれど、あからさまに反対した知り合いもいました。

でも、私の両親は反対しなかったんです。私が、自分で決めたら人の意見を聞かない、ということをよくわかっていたからだったのかもしれません。

思えば、短大への進学も、英国留学も、留学後の東京への引っ越しも、両親は文句や批判ひとつ言わずに、応援してくれサポートしてくれました。

私のことをいつでも信じてくれていた両親を思うと、今こうして書きながら感謝の気持ちがあふれてきます。たくさん心配かけたし、迷惑もかけたなあ・・・(心の声)

東京で生活していた私と夫は、娘が3才になる前に、もっと環境のよい場所で子どもを育てようと、静岡県磐田市の私の実家で、両親と同居することになりました。

実家の古い家を二世帯住宅に建て直して、私たち3人家族は、私の両親と祖母との同居を始めました。代々祖先が住んできた土地で、敷地も広く、家も、都会では考えられないゆったりした大きさです。

絵に描いたような幸せな家族・・・・

きっと傍目にはそう映っていたことでしょう。

そして、私自身も、「幸せで成功してすごいね」と周りから言われる私でいるように努めていました。

「頭もいいし、人柄もいいよね」と言われる言葉を励みに、子育てや、地域の活動や、非常勤で始めた高校での英語講師の仕事も、頑張って懸命にやっていました。

表向きの私と、私の内面は
かなり違っていました

かし、表向きの私と、私の内面はかなり違っていました

思い起こせば、学生の頃から努力家を続けてきた私は、社会に出るようになってから、少しずついろんな場面で問題が出始めていました。

  • 自分の意見がわからない。
  • 人の顔色を気にしすぎてしまう。
  • 人に見られると異常に緊張してしまう。
  • まとまった話をしようとすると頭が真っ白になる。
  • 私って能力がないと思われていないか不安になる・・・

本当は自分に自信がない私!でした。

過食症が始まったのは、短大を卒業して京都の商社に就職した頃でした。

心の中に渦巻く訳のわからない孤独や虚無感、罪悪感から、食べることでストレスを解消する毎日。夜に夕飯を食べてから、近所の八百屋さんでパンやお菓子をどっさり買い込んでその日のうちに食べてしまう状態が長く続きました。

同時に、ひと目が気になってたまらなくなり、人がいるところで食事をすることがうまくできなくなったり、コーヒーカップを持つと手が震えてしまったり、ジュースなら大丈夫かとグラスを口に持っていくと、飲み込むことができなくなったり。

人前での緊張がどんどんと増加していきました。

たくさんの人の視線があると、声が震えてしまう。自分が何を話しているかわからなくなるなど。

常に人に見られている自分を意識してしまう。

いわゆる社会不安障害、という症状が現れ始めたのです。

こうなると「優秀で能力ある人」「すばらしい私」を演じることは難しくなってしまいます。

でも、私の母は17才で京都からお嫁に来た「おしん」も負ける根性のスーパーウーマン!その娘だからなのか、「負けてなるか」とよけいに頑張りました。

声が震えたり、緊張したりする、自信のない自分を、上手に隠して取り繕う方法を模索しました。

とにかく「人よりも優秀で能力がある」ことが私の存在の証とばかりに、何事も頑張り続けたのです。

結婚し長女が3才になってから始めた、英語を教える仕事はまさに人前での表現の仕事です。ひと目が気になり緊張するからといって、私の大好きな英語を使った道をあきらめるわけにはいきません。

声の震えが止まらなくなる前に、猛スピードで自分の話を終わらせる。
緊張してきた時には、ちょっと可笑しな話をして笑いを取ってごまかすなど。

いろいろな方法を考えてはその場しのぎでしたが、なんとかやり過ごしました。そんな中、効果のあるひとつの方法にたどり着きました。

それは「自分がロボットだと想像すること」

人前で、過剰に緊張したり不安になってしまう時、自分は人間ではなくロボットだと思うようにしたところ、緊張が減りました。

不安や緊張という不快な感情を消してしまうことができたのです。

ただ、そんな自分はスラスラと言葉を話しているけれど、心とは切り離されている感じがしたし、無表情になっていました。

ロボットになって話しているのだから、そうなるのも無理もないでしょう。

それでも、緊張して声が震えるのが人に知られるよりは、百倍増しだと思ったのです。しかし同時に自分らしさも消えていきました。

結局はこの方法は長続きすることなく、自分への自信のなさや、極度の緊張失敗への不安はあまり改善しませんでした。

一方、夫は、結婚する前からのお酒の依存がどんどん増えていき、アルコール依存症の診断を受けていました。

そして、ひとり娘が小学校1年生の終わりに、脳幹にあった動脈瘤の破裂により帰らぬ人となってしまったのです。

突然のお別れに、悲しむ間もなく、私は英語の講師の仕事に復帰し、その後通訳者を目指すようになり、ますます英語のキャリア成功への道にまっしぐらで進んでいきました。

英語で成功することしか私には道がないように思えました。この道で頑張って成功すれば「自分を証明できる」と無意識で信じていたのです。

子どもの頃の「本当の自分がバレないように」と決意したことは、その時はすっかり忘れていたくらいです。

娘の面倒は実家の母や、近くに住んでいた妹夫婦の協力もお願いして通信の4年生大学を卒業し、通訳学校に通いました。

そのかいあって、東京での就活に成功し、2010年7月から2015年末までの約6年間は、企業での通訳として、働くことができました。

しかし、がんばって手に入れた通訳の仕事なのに、なぜか不安が付きまとっていました。自分への自信のなさと、本当はダメな自分がバレてしまう恐怖と罪悪感をなんとかしようと、必死に戦っている状態でした。

「下手な通訳だと思われているかもしれない」
「やっぱりできないなあとがっかりされているかも」
「こんないい加減な通訳じゃ、ダメだ」

日本人の同僚や外国人の上司が「いつも助かるよ、ありがとう」とねぎらってくれても、
「お世辞に違いない」と素直に受け取ることができず、不安や自信のなさを払拭することができません。

社内にはバイリンガルの人たちも多かったため、「きっと下手な英語しゃべっているな」と私はバカにされているに違いないと、彼らには敵対心や疑いの気持ちを抱いたりしました。

そんなある日、自信のなさや罪悪感や、その他さまざまな感情が、私の人生でついにマックスを超えてしまったのです。

「こんなんじゃもうだめだ!」
「自分が嫌いでたまらない」
「もう嫌だ!」

頑張っても頑張っても消えない、この自信のなさをなんとかしたい!
ひと目や人の評価を気にしなくなりたい!
自分を信頼できるようになりたい。
自分を好きになりたい・・・・

そんな思いで、スピリチュアルの講座、瞑想法、自己啓発のセミナーなど、自分の内面を探る方法を模索するようになっていきました。

スピリチャルや瞑想法は、ある意味で大きな助けになりました。自信がなく不安な状態から、心の安定へと転換することもできました。

それでも、私の心の奥にある「何か」は完全には納得していなかったように思います。

自信のなさに加えて、いつもつきまとっていた「孤独感」「罪悪感」「矛盾」のような気持ちの正体が、どうしても理解できなかったのです。

私のひと目ぼれで結婚した夫との生活は、山あり谷ありの不安定なものでした。最終的にアルコール依存症と診断された夫とは、何度も離婚寸前まで行き、当時小さかった娘にも不安な毎日を過ごさせてしまいました。

この人とは安定した結婚生活はできないだろう、と結婚前から自分にはわかっていたのに、他の選択肢がないように思えたのは何故だろう。

アダルトチャイルドの私は、私を「役立たず」と罵る気難しいこの男性と結婚して、難しい結婚をあえて乗り切ることで、自分を証明したかったのか?

幸せになりたいと願っていたはずの自分が、なぜわざわざイバラの道を進んでしまうのか?

夫と知り合う前、付き合っていた幼馴染の彼は、私を間違いなく幸せにしてくれる優しい人だったのに、その彼のプロポーズから逃げ出してしまったのは何故? とても優しい彼を私が不幸にしてしまうに違いないと思ってしまったのは何故?

数えきれないほどの、自分に対する疑問の答えは、スピリチャルや瞑想では得られなかったのです。

「本当の自分」を封印してきたことに、
ようやく氣づきました

んなある日、ある瞑想のセミナーに参加した時のこと、部屋の片隅にあった小さなパンフレットに目がとまりました。

そこに書かれていたのは、「子どもの頃に親との関係で身に着ける、自分や世の中に対するマイナスの思い込み」(リミッティングビリーフ)についてでした。

このマイナスの信念であるビリーフは、子どもの頃の自分の心に根付き、その人の考え方、性格、そして人生を大きく左右するということ。そのビリーフはまったく理屈に合わないものであること。しかし、それは子どもの自分が自分で決めたことだから、書き換えることができる。そのような内容が簡単に書かれていました。

「書き換えることができる」

その言葉が私の心を揺さぶり、瞑想会の後すぐに、ホームページで調べて「短期講座」を受講しました。

ビリーフチェンジという心理療法を行うグループに行きついた私は、まだ心理療法というものをはっきりと理解していたわけではありません。

しかしそのグループ代表が行う、オープンカウンセリングの会場で語られた、ある言葉を聞いた時に、私の中に激震が走りました。

まるでに打たれたように体がかたまり、その後、涙が勝手に溢れ出して抑えられませんでした。

その言葉とは・・・・・

「子どもは親に迷惑をかけるのが仕事だよ」

これまで、誰からも聞いたことがなかった言葉。ショックだったと言っていいかもしれません。

何故なら私は、

親に迷惑をかけないように。
親に自慢してもらえるように。
親が恥ずかしいと思わないように。

勉強をがんばって、周りからすごいね、と感心されるような「良い子」をずっとやってきたから・・・。

今の今まで、そうであるべきと信じて疑っていなかった。

その時、私の硬くて厚い常識の壁が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じました。

「親に迷惑をかけても私はよかったんだ・・・」

頬を流れる涙は全く止まってくれませんでした。

そしてそれまでしまい込んで忘れていた「本当の私」の秘密と、小学生の頃のある場面を思い出したのです。

本当の私は、「わがままで冷たい心のダメ人間だ」と信じ込んでいました。

その発端は、ある時、母親から言われたショックな言葉でした。

家業の織物工場の働き手として嫁に来た母親は、休み時間もあまりとることができず、時々具合が悪くなり、寝込んでいることがありました。

部屋で寝ていても、姑や自分の夫(父親)に声もかけてもらえず、「弱い嫁をもらうと損だ」と陰口を言われていた母は、長女の私だけが頼りで、小学生だった私は学校から帰ると、部屋で寝込んでいる母のところへ行き、声をかけて母のために何かしてあげることがよくありました。

ある日、私は寝込んでいる母の部屋にすぐに行かなかったんです。

なぜかというと、母に内緒でミシンで作っていた白いエプロンが、もうじき完成するから、先に作ってしまって母を喜ばせてあげたかった・・・そんな理由だったと記憶しています。

でも、すぐに仕上げることはできずに途中でやめて部屋に行くと、母はものすごく私を怒り、感情的にこんな言葉を投げつけてきたんです。

おまえは、母親が寝ているのに心配して部屋にこない。そんな心の冷たい人間だとは思わなかった、おばあちゃんに甘やかされてわがままになったのは仕方がないが、心の冷たい人間にはなってほしくない。

そんな感じで言われたのを覚えていますが、何よりのショックは、母親に信用されていないことと、人間的に否定されたことでした。

やっぱり私のことを「冷たくでわがままなダメ人間だ」と思っていたんだ・・・・
おばあちゃんとお父さんに対して思っていることを、私にも思っていたんだ・・・

その時に、「本当の私ではいけないんだ」と強く心に想いを刻み付けたのです。

「自分ではいけない」
「わがままで冷たい私には愛される価値がない」
「だから立派な私にならないといけない」

そんな風な、「ビリーフ」をしっかりと刻みこみ、それ以来、「本当の自分」がバレないように、親に迷惑をかけない「良い子」でずっと頑張ってきた・・・

「本当の自分」を封印してきたことに、ようやく氣づいたのです。

そして、その後の心理療法の学びから、複数の「ビリーフ」のパターンを理解するうち、今までの自分に対する様々な疑問の答えは、すべてビリーフで説明することができるとわかりました。

こんなにラクなことなんだ、
と感動すら覚えます

とはもう、自分と向き合い、自分を変えていくことしか、私には選択肢はないと思いました。

心理セラピーによって、否定してきた自分を発見していくことと、その根本にあるビリーフを見つけて、開放し書き換えていく作業を続けていったのです。

一番初めに訪れた変化は、人目に関するもの。人前で緊張することが減っていきました。

若い頃からの、人に見られていると緊張する、という不安症は根強く、長い間私の自信のなさを助長してきたものだったので、この緊張や不安を手放せたことは何よりの恩恵でした。

人に見られる緊張は、同時に、集団の中での居心地の悪さや孤独感ともつながっていたので、「集団に属せない」というビリーフが緩和され、集団の中での違和感が減ったことも大きな助けでした。

そして何より「冷たくてわがままなダメな自分」という、あの時母から押された烙印が、次第に弱まっていくのがわかりました。

どんな風に弱まったかというと、心の中に住み着いていた声が変わったのです。

これまでは、人前で何かをやっている時に、「そうじゃないでしょ」「きちんとしなさい」「それじゃだめだ」とダメ出しをしている声を感じていました。

心理セラピーを始めてから、その声がしだいに聞こえなくなり、別の声が現れ始めたのです。

「自分のやり方でいいんだよ」「ダメなんかじゃないよ」「それでよかったんだよ」などと、自分を否定せずに、失敗さえも肯定して認めてくれる存在の声

私はこの存在を「マザーテレサ」と呼ぶことにしました。どんな人でもそのまま受け入れる、というイメージをマザーテレサに対して持っていたからです。

その存在の現れとともに、不思議にも、失敗に対する不安や、人前で目立つことへの恐怖などが減っていきました。

それまでは「失敗したら恥ずかしい」という厳しい声が鳴り響いていたのですが、それは泣き虫だった私を厳しく叱っていたり、怖い目で睨みつけていた母のイメージだったとわかりました。

子どもの頃の私は、自分が「迷惑なんだ」「愛されていないんだ」「価値がない」という気持ちで途方に暮れ、孤独を感じていたんです。

だから、勉強をがんばり、家のお手伝いもして、挨拶もきちんとできる、親が喜ぶような、迷惑をかけない子どもでいることで、孤独や恐れを感じなくてすんでいた・・・そのような心の防衛的なしくみが働いていたのです。

何しろ、小さな子どもにとって、親に愛されない、つまりは親に見捨てられてしまうことほど恐ろしいことはありません。

そうやって、私のビリーフの数々が、心の底に根をはっていったというわけです。

こうして、心のしくみを理解することができ、心理セラピーを受けながら心理学の学びを続けることで、私は変わっていくことができました。

自分の自信なさと、ひと目を気にするという悩みも、ほぼ消えてしまいました。人前で失敗することへの不安も全くないというわけではありませんが、かなり小さくなっています。

自分らしくいられることは、こんなにラクなことなんだ、と感動すら覚えます。

3つの習慣化で心をしなやかに
保つことができる

リーフを変える心理療法と出会ってから、自分について、さまざまなことに氣がつきました。

これまでの私は、人を満足させたり(期待に応えたり)喜ばせたりするために、見せかけの自分で生きてきたこと。

本当の自分を否定し、封印してきた。

でももう、そんな見せかけの自分の生き方は「やめよう」と決心し、実践することができたのです。

心理セラピーの実践と心理学の学びを通して、感情・思考・言葉を習慣化することで、心をしなやかに保つことができるのだとわかりました。

人の心はもともと、回復力のあるしなやかに作られているのだから、本来の自分でいることで、元気でパワーに溢れた毎日を送っていけるのは、ごく当たり前のことなのです。

自分の問題を解決していった私は、周りの人たちのことも考えるようになりました。

私のように、本当の自分を否定し隠して、誰かを喜ばせるために「良い子」を演じて生きてきた人たちは、「自分に自信がない」という悩みを持っているのではないか。

本当は必要のない「良い子」をやめ、本当の自分を思い出し、自分らしく生きていくことで、「自信のなさ」のみならず「孤独感」や「罪悪感」などの理由のない生きづらさも解決できるのではないか。

生きづらさの苦しみから抜け出し自分への信頼と自分らしさを取り戻した、私自身の経験と実践してきたことが、お役に立てるのではないか。

かつての私のような、不要な苦しみの中にいる人が元気になるサポートができるのではないか。

そうした思いから、私は心理カウンセラーへの転向を決意し、東京から静岡県磐田市の実家に戻った2016年の7月に、心理カウンセラーとして活動を開始しました。

それ以来、100人以上の20代から60代までの女性の生きづらさ解決をサポートしてきました。その中で、クライアントさん自身が「しなやかな心の習慣」を作ることの大切さを痛感し、現在は「自信のなさ」「劣等感」などの問題解決をする心理セラピーと同時に習慣化による心のケアトレーニングを行うサポートプログラムに取り組んでいます。

その人にあった
自然な方法で
良い方向に進んでいく

理セラピーは、信頼できるカウンセラーと一対一で、安全な空間の中、マイナスビリーフのとらわれに気づきその解放を行うという、クライアントとの共同作業です。

私が勧めているプログラムでは、さらに、その安全な場から、日常生活に戻った時に威力を発揮する「習慣の力」を利用していきます。

思考の習慣、感情の習慣、言葉の習慣。この3つを毎日の生活の中で、意識をして過ごし、いつのまにか当たり前のことになるように、習慣化していくことで、自分への信頼を太くしていくことができるのです。

心理セラピーでのビリーフの解放と、日々の生活における心の習慣化、という二つの柱で、自分の生き方を変えていくことができる。

これが「しなやかな心の習慣作り」というタオマリエが勧めるプログラムが目指すものです。

タオマリエのセラピールームには、「自分に自信がない」というお悩みを抱えたクライアントさんが相談に訪れます。

その方々が、どのように回復されていくかは、時間も内容も人それぞれですが、その人にあった自然な方法で良い方向に進んでいくことが大きな共通点です。

心理セラピーを受けた方の感想をご紹介しましょう。

心理セラピーを受ける前は、なんで自分はこんなに何も出来ないのか、それによって人に迷惑をかけてばかりで、毎日一人反省会をして、なんで自分はここにいるのだろう、自分はここにいてはいけないのだろうかと思うことが多く、辛い毎日でした。

心理セラピーを受けることで自分の感情を抑えつけて不安やイライラをなかったものに出来るんじゃないか、何も感じず、何も考えなければ楽になれるのではないかと思い、自分の感情をコントロールするすべを教えてもらおうと思ったのが、心理セラピーに申し込んだきっかけです。

でも、心理セラピーを受けて自分と向き合っていくうちに、その考え自体が自分を否定して苦しめていることに気づかされました。

最初、自分の悩みを言葉にするのは勇気が要りました。今までそんな事話したこともなかったですし、話す事でもなく自分で処理をするものだと思っていたからです。

今は、受けて本当に良かったと思えます。

以前は、ただやみくもに頑張らなきゃ、出来てないのは自分の努力が足りない、自分が悪いせいだという考え方しか自分の中になかったのですが、だんだんと変わっていきました。

今出来ないことを責めるのではなく、ただ今は出来てない自分も認めてあげよう。そして、頑張っている自分も認めてあげよう、と。

現状の問題が変わらずとも、そういう気持ちになるだけでこんなに心が楽になるのかと、自分でも驚きです。自分はなぜあんなに苦しい所にいたのだろうかと思ってしまいます。

そして、自分の幸せな方向を見つけるとそちらに自然に歩みたくなるものなんだということもわかりました。

今は、ミスしてもそこまで自分を責めて傷つけようとすることも少なくなり、相手の反応を気にしすぎないようになった気がします。あと、笑顔でいれる時間が長くなった気がします。
Y様、袋井市、30代女性
(Y様、袋井市、30代女性)
以前の私は、自分に自信が持てず、人と食事に行ったり遊びに行ったり、人と接する時になかなか自分の意見が言えませんでした
でも、タオマリエさんの心理セラピーを受けて、自信がない私でもダメじゃないんだなぁと思えるようになりました。
無理やり変えようと頑張ったわけでもなく、氣づいたらそう思えるようになっていた自分に氣づく…そんな自然な感じがとってもよかったなぁと思っています。
周りの方々からは「いつも楽しそうだね」と言われるようになりました。
浜松市 癒しのセラピスト Root様
(浜松市 癒しのセラピスト Root様)
自分に自信を持つことができるようになり、私は「このやり方で目標を達成する」と、自分の進んでいる道を肯定できるようになりました。また、他人と比べて焦ったり、他人からの評価を以前ほど気にしなくなりました。

タオマリエさんのセッションを経て、改めて気付いたことは、私は先ず相手のことを考えて自分のことはその次にしていたなということ。

自分の気持ちを大切にすることって、実はとても大切なのだと気づくことができました。
浜磐田市 フラワーデザイナー様
(磐田市 フラワーデザイナー様)
私がタオさんの心理セラピーを受け始めた頃から、特に上の子の様子がぐんと変わりました。主人も私も驚くほど、積極的で楽しそうにしています。「私はこれでいい」って自信をつけてくれてるのかなと嬉しく思います。

下の子は、私が伝えた大切な言葉を、事あるごとに見事なタイミングで私に返してくれて、救われています。

子どものことに関しては、本当に いい変化が たくさんみられて、ありがたいです。また、主人からは、私が明るくなった、元気になった、ネガティブな暗さがなくなった、と言ってもらえました。

自分を大切にすることは、全てのことに通じるんだなと思います。
M様、磐田市、30代主婦
(M様、磐田市、30代主婦)

次はあなたの番です。
勇気をだして踏み出しませんか?

し、あなたが「自分に自信がない」というお悩みを持って、どうしていいのかわからずに立ち尽くしているのなら・・・

心理セラピーを受けることで、その悩みを作ってしまった昔の自分の心の状態を思い出すことができます。

あるいは、記憶にはおぼろげな感覚しかない場合もあるかもしれません。

しかし、とても大切で貴重なのは、その握りしめてきた「マイナスの思い込み」に氣づき手放していくことで、あなたは変わっていける、という大きな可能性です。

「自信のない」あなたは、その可能性を忘れてしまっているのです。

今まで何をやってもダメだったから、もうあきらめている。自分の人生はきっとこのまま何も変わらない。不運で不幸なままだ・・・・・

そんな風に希望を失った人を、ひとりでも多くサポートしたい、それがタオマリエの心からの願いです。

なぜなら、希望を失いかけていた私が、自分への信頼を取り戻せたのは、ビリーフという間違った信念を自分で書き換える心理セラピーと、信頼できる心理セラピストとの出会いがあったからです。

しかし、それはきっかけに過ぎません。

世間でよく勘違いされていることですが、高名なカリスマ心理カウンセラーの力がすごいから問題が解決した、あるいは、○○セラピーの手法がすごいから悩みが消えた、と普通は考えがちです。

もちろん、世の中には優れた実力者、優れた手法があるものです。その影響力はとても大きいです。

でも、忘れてはならないのは、悩みを抱えた本人の力です。

「良くなりたい」「変わりたい」とその人が願い、自分に起こっていく変化を信じて、踏み出そうとする決意です。

どの人にも、もともと備わっている力があるのです。

誰もが自分を変える力をもともと持っているのです。

そして、心理カウンセラーの一番の役割は、その人が持てる本来の力やその人らしさを取り戻していけるように、その人の力を信じて、寄り添い、全力のサポートをすることです。

私は55才を過ぎてからようやく自信のなさから解放され、封印していた自分らしさを取り戻しました。

年齢は関係ありません。どのくらい悩んでいた年数も関係ありません

あなたが「取り戻したい」と思うのなら、いつでも可能なのです。

さあ、次はあなたの番です。勇気をだして踏み出しませんか?

人と比較して落ち込んでしまう「良い子」のまま大人になり母親になったあなたは
自信を取り戻し、夢や願望を叶えていくために、どのような解決方法を探してきましたか?